2025年4月14日
片眼で見る、新しい世界
私は、不注意から左目を失った。
その瞬間、人生が終わったように思えた。
片目で生きることなど、考えたこともなかった。
未来が見えないとは、こういうことか――
そう思った。
けれど不思議なことに、絶望は長くは続かなかった。
代わりに、私の中に静かに芽生えた感情があった。
「人間の身体って……いったいどこまで適応できるのだろう?」
壊れたはずの身体を、どこか他人事のように観察していた。
まるで新しい旅のように、未知の自分を見つめていた。
そんな自分を、少しおかしいとも思いながら。
怪我の直後、緊急入院となった。
医師は私の目を診て、こう告げた。
「回復は……難しいでしょう」
私は、ほんの一瞬だけ迷い、そして口を開いた。
「先生、片眼は……もう諦めています」
強がりだったのかもしれない。
頭の中では、自分に問いかけていた。
「おい、本当に大丈夫か?また早とちりしてないか?」
けれどそのとき、私はある記憶を思い出していた。
友人の弟が、体内に入った菌が脳に達して、あっという間に亡くなったという話。
あれと同じかもしれない。
そう思うと、私は迷わず「命のほう」を選んだのだった。
医師は処置を決断した。
「もう手術の準備は間に合いません。ここで処置します」
麻酔もない。
診察室の空気が一変した。
私はタオルを咥え、手足を固定され、
眼球に七本の薬が直接注射された。
まぶたは痙攣し、冷や汗が背中を流れた。
でも私は、じっと耐えた。
「これで……死なずにすむ」
ただ、その思いだけが私を支えていた。
退院してしばらくして、友人から電話があった。
私は、片眼になってからの生活の不便さをとうとうと語った。
「世界がマンガ本みたいに平面に見える」
「自分が水平かどうかもわからない」
「すべてが小さく感じられるし、手足の位置もつかめない」
「まるで、宙に浮いているような感覚だ」
「視力の八〇パーセントを失ったようなものだよ」
「想像していた“不便”とは、まったく違った」
「世界の中に、自分の存在が希薄になったような気がするんだ」
すると友人が、電話越しに笑いながら言った。
「……不便を楽しんでないかい?なんだか、すごく楽しそうに聞こえるよ」
その瞬間、私は黙り込んだ。
けれどすぐに、心の奥で気づいていた。
――私は、楽しんでいたのかもしれない。
片眼で見る世界は、確かに不便だ。
けれど、不思議なことに――
前よりも、世界が“深く”見えるようになった気がする。
時間と空間の不思議さ。
物質の意味が変わって見える。
世界の次元について考えるようになった。
五感の役割も、ようやく理解できた。
見る、聴く、触れる、嗅ぐ、味わう……
それらは別々ではなく、私という存在を“統合”している。
その感覚に気づいたとき、私は問い始めていた。
「人間にとって、本当に必要なものって何だろう?」
そしてその問いは、さらに深くへと私を導いた。
「人間は、なぜ生まれてきたのだろうか?」
私は、失ったものを数えるのではなく、
得たものをひとつずつ、大切に拾い集めている。
いま、私は――
片眼のままで、新しい人生を、静かに歩き始めている。