Essay 1%

2025年4月25日

1%の向こう

――魔法の思考術より

誰かに頼まれた仕事でも、
成功確率が50%を超えていると、あまり気が乗らない。
もう答えは出ているような気がして、
自分が関わる意味が見いだせなくなる。

知恵を絞る余地がないと、
「それなら他の人の方が良いのでは」と思ってしまう。
どこかで、自分の役目じゃないと感じるのだ。

逆に「これは無理でしょう」と言われるような案件には、
なぜか心が引き寄せられる。

1%。
たったそれだけの可能性。
でも、開けてみたくなる。

私にとって、1%というのは、
あのドラえもんの“どこでもドア”のようなものだ。

向こうには、何があるのだろう。
そう思うと、どうにも開けずにはいられない。


失敗してもいい。
成功でも失敗でも、どちらでもいい。
私が知りたいのは、「そこに何があるか」だけだ。

この“見たことのないものを見たい”という気持ちは、
多くの人には理解されないかもしれない。
けれど、私にとっては、とても自然な衝動だ。


怖がりだから、準備は徹底的にする。
普通なら100回考えるところを、私は150回でも考える。
逃げ道や裏口、光の差す隙間まで――
あらゆる可能性を探し尽くす。

負けたくないというより、
「納得したい」んだと思う。

そして答えが見えた瞬間、私はあっさり手を引く。
それが成功であろうと、失敗であろうと、もう未練はない。
思考を終えたときには、
まるで夢から醒めたように静かになる。


それに、1%というのは、
「たった1%しかない」ということでもあるけれど、
同時に、「99%の防護バリアがある」ということでもある。

誰も来ない。
誰も真似できない。
誰も見たことがない。

そんな場所に、ひとりで立つことができる。

敵と戦わなくていい。
争わなくていい。
ただ静かに、思考に集中できる。
それは、私にとってとてもありがたい環境だ。


自然の中には、信じられないような場所に棲んでいる生き物がいる。
氷の奥に潜む魚、火山の中で生きるバクテリア、
人が足を踏み入れたことのない森の奥で暮らす小さな動物たち。

彼らは皆、1%の扉を開けて、99%のバリアを得ている。
だからこそ、静かに生きていられる。
それは、ひとつの賢いやり方だと思う。

もちろん、
1%の道筋をたどって入り込んでくる敵も、
この世界にはいないわけではない。

けれど、それはとても少ない。
圧倒的に少ないのだ。


1%の扉を開けるというのは、
冒険とか、チャレンジとか、
そういう目立つことじゃない。

「誰も届かない場所に、静かに根を下ろすこと」
そういうことなのかもしれない。


人には、それぞれのタイミングというものがある。
だから、わざわざ伝えようとすることは、あまりない。

けれどもし、
たった1%の可能性を前に、
その扉の前で立ちすくんでいる誰かがいたら――

そのとき、
私はそっとこうつぶやくかもしれない。

「開けてみても、いいかもしれませんよ」
と。