■ 第一章 メビウス編2019.6.18

深夜のオフィス街
歓楽街とは違い人通りは少ない。
夏にはまだ早いが、風もなく蒸し暑い。
黒っぽいスーツを着た男が足早に歩いている。

コッ コッ コッ コッ・・・・
ビルの谷間に靴音だけが響く。
男は歩きながら、その靴音を注意深く聴いている。
自分の靴音以外に音はないかと用心しているのだ。
こんなこともすっかり身についていた。

明るい大通りまで来た時、男は立ち止まりため息混じりの長い息を吐いた。
「ふうぅー・・・・」
そして、チラッと後ろを確認し、再び歩き始めた。
少し安心したのか、靴音は心持ち軽くなっていた。
服部浩太郎46歳、国家公務員。
政府の官邸勤務で調査を担当するエリート官僚である。
調査テーマは未来の経済システム。

最近は国内でも国外でも様々な問題が勃発している。
経済も世界的に低迷を続け、もう10年も経った。
その間に経済復興のための様々な試みが行われた。
今もデフレに向かう勢いは留まる事を知らない。
デフレは悪魔の囁きだ。
「安く買えることは良いことだ」と。
しかし、デフレからの脱出方法は未だに見つかっていない。

資本主義経済の限界がきたのではないのかと囁かれている 。
その事に呼応するように社会主義が台頭してきた。
国民の不満が政治を変えようとしている。
民主主義国家がこのまま衰退を続ければ、社会主義が世界を支配するだろう。
世界の秩序を守る為に、もう猶予はない 。
浩太郎はその答えを探すために、毎日大学や企業を訪問している。

経済低迷は我が国だけではない。
世界の中には経済低迷を国家拡大、国家侵略によって解決しようという国家もある。
浩太郎の動きはそんな国から注目されていた。
そんな情勢だから身辺の不安を感じることは多々あった。
だから毎日を用心深く過ごしている。

浩太郎の手帳の訪問者リストは全部塗り潰されていた。
もう打つ手はあまり残っていない。
トップに報告しなければならない日も近い。
だけど浩太郎は半ば諦めている。
答えなんて何処にもないのだろうと思い始めていた。
もし答えがあるのなら、世界の何処かにその兆候くらい現れるだろう。
浩太郎はその兆候さえ見つけることができなかった。
無い物を探しているような虚しさを感じ始めている。
だから、疲れ方がハンパなくつらい・・・・・

公園のベンチ

浩太郎はビルの谷間に造られた公園の大きな樹の下のベンチに腰をかけた。
うつ向き加減に腰を落とし、そしてふうーっと息をはいた。
思わず「よいしょ」と声が出そうだったので一人で苦笑いをした。
スーツのポケットからタバコを取り出した。
最近はあまり吸われていないセブンスターという昔からの銘柄のタバコ。
浩太郎が初めて吸ったタバコがセブンスターだった。
それ以来どんどん出てくる新製品には目もくれないでいる。
世の中に振り回されずにいたいという思いからなのかも知れない。
箱から一本を抜き出し、オイルライターで火をつけた。
シュボッという音とともに大きな炎を立てて火がついた。
オイルライターの独特の甘い香りが鼻先をくすぐる。
浩太郎はオイルライターの蒼白い炎とオレンジ色の炎が絡み合うのが好きだった。この絡み合い方が毎回違う。それを運勢占いのように、自分流で解釈をする。そして、今日はイケると自分を奮い立たせるのだ。
吐いた煙の中から街の夜景が浮かんできた。
「疲れたなぁ・・・」
小さく呟き、ポケットから携帯灰皿を取り出し、少しだけ吸ったタバコを消した。
溜まった疲れが一気に出てきて、タバコを吸うのも結構つらかった。
報告のことを考えると憂鬱だったが、やるだけはやったという思いもあった。
身体中の力が抜けていくような気がする。
今夜は夜景の灯りがはっきりしている。
空を見上げると星がきらめいている。
何故だろうと思い、空を見渡した。
月が出ていない。そうか今夜は新月なのだ。
浩太郎はぼんやりと夜景を眺めているうちにウトウトと眠ってしまった。


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