ZEROの世界

プロローグ

人間はそれぞれ独自の波長を持っている。
そして、万物も独自の波長を持っている。
それぞれの波長が同調するところに安らぎがあり、そして運命がある。
ここに紹介するのは、運命に導かれ、数奇な人生を送った男の話です。
その男というのは、私のことです。

私の趣味は夜の空を眺めること。
アンドロメダに導かれ、天の川銀河を旅するのです。
宇宙の神秘に惹かれながら、宇宙を研究している時が、この爺の最高の時間なのです。
ここは人里離れた山村で、天文観測を妨げるような灯りはひとつもありません。
小さな家に、爺と孫の二人だけで暮らしています。
子供の名前はチムという5歳の男の子。チムは体が弱く、空気の悪い都会には住めないということで、私と一緒に暮らしています。
チムの母親、つまり私の娘は宇宙開発研究所の宇宙物理学者です、
この家には月に一度帰ってくるだけです。
といっても、中が悪いとか、愛情が無いというわけではありません。
家族全員が宇宙に夢中なだけです。
チムの父親は宇宙飛行士で、チムが生まれた年に宇宙で行方不明になりました。
今も宇宙のどこかを飛んでいることでしょう。
両親のDNAを持つチムは夜の空が大好きです。
星のきれいな夜は、ベランダの古惚けたベンチに腰掛けて、私の話を聞くのが好きなのです。
私にはチムが夜空を眺めて、行方不明になった父親を探しているような気がするのです。
この可愛いチムの素朴な質問に答えることが、私の天文研究になっているのです。

村のくらし

「ねぇ、ジージ、宇宙は誰が造ったの?」
チムの素朴な質問で、今夜の宇宙研究が始まります。
「宇宙がどうしてできたのかは誰もわからないのだよ。
でもね、宇宙があり、地球があり、みんながいる。
宇宙ができたからそうなったのか、そうなるために宇宙ができたのかを考えてみよう。
すべてのことは結果から逆に理由を辿ることができる。
どんなことでも目的なしに起こることなんてあり得ない。
まして、こんな素晴らしい宇宙や地球、そして人類が偶然でできるわけはないと思っている。
だから、ビッグバンは誰かの意思によって起きたと考えることが自然な考え方だと思う。
ビッグバン以前に存在していた意思ある存在は何だったろう。
すると、答えはひとつしかないのだよ」
チムはしばらく考えていたが、自信を持って答えた。
「誰もいないときにいた人といったら神様しかいないよ」
老人は笑顔で言った。
「そうだよね。ジージもチムと同じだと思っているんだよ」
「ねえ、ジージ、神様ならパパの事を知っているかも知れないね」
老人はチムを抱き寄せて、宇宙の話を始めた。

この世は何もない世界だった。
光もなく、音もなく、宇宙もない「無」の世界だった。
ある時、二本の大きなプラズマが衝突し、大爆発が起きた。
そして、ゼロ(無)がプラスとマイナスに分離した。
ゼロというのは0じゃない。ゼロはプラスとマイナスの合体したモノだ。
プラス1とマイナス1の合体したモノであり、プラス1億とマイナス1億の合体したモノだ。
宇宙は無限のゼロだったから、無限のプラス物質と無限のマイナス物質が誕生したと考えている。
こうして、無の世界に有が生まれたが、このままではプラスはマイナスに再び合体して、元のゼロに戻る。
ところが、ブラックホールがマイナス物質の反物質を飲み込んでしまった。
そうしてプラスの物質だけが残り、宇宙が誕生したと考えている。
ビッグバンが起こったというより、誰かが起こしたと考える方が自然だと思う。
その結果、奇跡の星と言われる地球が誕生し、太陽系の惑星は地球とおおきな関係を維持している。
この奇跡により、地球に人類が誕生し、爺やチムやママがいる。これを偶然だと言えるだろうか。
老人の話をチムは楽しそうに聞いている。
老人はますます得意気になって話した。
チムは老人の自信ありげな顔を不思議そうに見ていた。
「ねえ、ジージは見ていたかのように言うんだね」
老人はちょっと驚いたような素振りをし、チムを見た。

「ねえ、ジージ、ブラックホールに飲み込まれたマイナスたちはどうなったの?」
「マイナスは行方不明になってしまって、今も科学者たちが探しているよ。
モノだけでなく、すべての出来事にもプラスとマイナスがある。
ここにチムがいるように、何処かに反対のチムが存在しているかも知れないね」

「ジージ、チムはもう一人のチムに逢いたいなぁ」
それを聞いた爺は、突然声を荒げて言った。
「チム、そんなことは言ってはいけない!」
「えっ?何で?もう一人の僕に逢ったらどうなるの?」
「チム、そんなことを考えてはいけないよ。人間の意思には宇宙を動かすパワーが秘められているからね。
もし、もう一人のチムが現れたら、チムと一体になったら、チムは消えてしまう。
ゼロになってしまうのだよ。絶対にそんなことを考えてはいけないよ」
「さあ、チム、もう寝なさい」
「もう終わりなの?今日のじいちゃんは変だよ」
そう言われた爺は、チムの背中を押して、寝室へ連れて行った。
「さあ、今日はもうおやすみ」と言って、チムのおでこにキスをして、部屋の灯りを消した。

老人の秘密

老人には、他人に言えない秘密があった。まして、慕ってくれているチムには絶対に言えないことだった。
今も変わらず住んでいる所は「中ノ村」という名前の山村である。
東隣には「東ノ村」、西隣には「西ノ村」があり、この三つの村の真ん中を大きな川が貫いている。
「東ノ村」と「西ノ村」は双子村と言われ、同じ形をしていた。
土地の大きさや形、川の位置、山の形や位置、家の位置も同じだった。
違うのは、まるで裏返ししたような相似形だった。
老人は青年の頃から「中ノ村」に住んでいた。
その頃は水道なんて便利なものはなく、川の水を生活用水として使っていた。
青年の家は川から少し離れていたので、用水路を造って、家まで水を引いていた。
使った水は、濾過井戸で浄化してから川に戻していた。
川の水は貴重で、下流には「東ノ村」があるので、汚さないようにしている。

ある晩、激しい嵐になった。
小さな家は強い風に軋み声をあげ、青年は眠れずにいた。
青年は喉の渇きを覚えて、台所に水を飲みに行った。
ちょうどその時に、大きな雷が両方の隣町に落ちた。
しかも、同時に村を流れる大きな川に落ちた。雷は川の水面を走り、中ノ町まで行き、用水路を通って青年の家に走った。
東ノ町に落ちた雷と西ノ町に落ちた雷が中ノ村の青年の家に流れたのである。
ちょうど水を飲もうとしていた青年の目の前でふたつの雷が衝突した。
轟音と同時に激しいプラズマが走り、台所は異常電磁場になった。

ビッグバンと同じ現象が起きたのだ。
しかし規模は小さいので新たな宇宙が誕生することはなかったが、そこにいた青年に異変が起きた。
一瞬の出来事に、立ったまま意識を失っていたが、すぐに何事もなかったように気を取り戻した。
「いやあ、ビックリしたなぁ」とつぶやきながら、コップに水を注いだ。
そして、体をほぐすように肩を回した。
コップを握っている手に力が入った。
その時、指先に少しビリッとしたショックを感じた。
その瞬間、コップから水が足下にこぼれた。
コップにヒビでも入ったのかと、握っているコップに目をやった。
そこにはコップがなかった。「えっ!」と驚き、割れたのかと思って床を見回した。
そこにコップの破片などはなかった。
おかしいなぁと思って、再び手元を見ると空のグラスがあった。
青年は雷のショックで自分が少しおかしくなったのかと思いながら、コップに水を注いだ。
コップに異常はなく、コップの中には水が入っている。
青年は勘違いをしただけなのだと思って、水を飲み干した。

この時、宇宙でも異変が起きていた。
大型の宇宙嵐が発生し、強力な電磁波が飛び交い、そして衝突した。
ビッグバンを思わせるような大きさだった。
この宇宙嵐はいくつかのブラックホールを破壊した。
村に落ちた雷はその影響だったのだ。

翌朝、青年はベッドで目覚めた。
「うーん、夕べは嵐でよく眠れなかったよ」と言って、大きく伸びをした。
その瞬間、青年はベッドから落ちた。落ちたと言うよりベッドが消えたのだ。
青年は驚き「お気に入りのベッドだったのに・・・」と悔しがった。
すると、消えたはずのベッドがまた現れたのである。

不思議な出来事に驚きはしたが、アマチュア研究家の探究心が頭をもたげた。
青年は夕べの出来事を思い返してみた。
大きな嵐と二つの雷、コップの異常現象。ニュースでは宇宙で起きた宇宙嵐のことを報じていた。
テレビでは宇宙専門家と言われる教授たちが持論を熱く語っていた。

悪行の時代

青年はあの日以来、研究に没頭した。そして、出した結論は次のようなことだった。
宇宙の大爆発が、いくつかのブラックホールを破壊した。
その結果、多くの反物質が飛び出した。この村で二つの雷がぶつかり、ビッグバンと同じ超電磁場が発生した。
宇宙を彷徨っていた反物質が超電磁場に集まった。
反物質はビッグバンを起こした創造主の意思と偶然その場にいた青年の意思を同一のものと認めたのかも知れない。
ビッグバンが創造主の意志によって起こったと考えるならば、物質と反物質は意志によってコントロールできるはずだ。
このことは、コップが消えたり現れたりしたことが青年の意思と繋がっていたのだと考えられる。
消えて無になると言うことは、透明人間のように肉体が透けているのとは違う。
まず透明人間は裸でなければならないし、生身の肉体は存在しているから、ドアや壁は通過できないし、人や物とぶつかるし、殴られたら痛いのである。
でも反物質合体は、透明ではなく存在がなくなるのだ。着ている服や持ち物も消えるのだが、意志という存在はある。
反物質で物質をゼロにするというのは、思った以上に凄かった。
例えば、戦車を反物質でゼロにすれば質量も無くなる。
ドラえもんのポケットのようにどんなものでも持ち歩け、いつでも物質に戻して使うことができるのだ。
どんな強固な扉や塀でも簡単に通り抜けることができた。
まるで、SF映画のヒーローのようになったのだ。

青年の好奇心と邪心はあっという間に芽生え、成長した。
しばらくして、世界中で難事件が多発した。
偶然に事件に遭遇した若い警官が犯人に向かってピストルを撃った。
しかし、その弾丸は空中に消えてしまった。
二発目を撃とうとしたが、撃つことができなかった。
後で判ったことは、薬莢の中の火薬が無くなっていたという。
駆けつけたパトカーも橋が消えていたために現場に駆けつけることができなかった。
どこから侵入して、どこから出て行ったのだろうか。
金庫にいっぱいあった金塊が煙のように消えたのだ。
何十トンもある金塊をどうやって運び出したのだろうかと不思議がった。
例え、見つかっても証拠は何も見つかることはない
すべての事件は難事件として解決できず、迷宮入りとなった。
青年はあまりにも簡単に盗み出すことができたので、ワザワザ盗み出す必要はないと思った。
必要になったら、取りに行けば良いだけのことである。
もう盗むことに興味が無くなった。
元々、盗みたいのでは無く、不思議な能力を試して見たかっただけなのである。
それに、反物質を利用する度に雷に打たれるような電気ショックも辛くなっていた。

良心が芽生える

この頃から青年に変化が起こった。
反物質を使っているうちに、青年の心の中に正義感が芽生えてきたのだ。
悪いことの反対作用が起きてきたのだ。
反物質と物質とは真逆の性質を持っている。
この作用のお陰で、邪心と真逆の正義感が目覚めたのだ。
青年は自分のやったことを深く反省した。
この力を世の中の役に立つ事に使おうと考えた。
何かないかなと考えながら歩いていたら、「火事だ」と叫ぶ声がした。
急いで声のする方にいくと、大きな家が燃えていた。
二階の窓から娘が叫んでいる。
消防士は既に到着していたが、火の手の回りが早くて、手をこまねいていた。
「だめだ!火が大き過ぎる。もっと水を掛けろ」
青年は自分の反物質と合体し、無になって燃えさかる火の中に入っていった。
合体した時にプラズマが光ったのだが、火事の炎のお陰で誰も気づく人はいなかった。
無の存在になった青年にとって大きな炎も無関係だった。
二階で倒れている女の子に触れ、無の存在にして、裏庭に出た。
そこで反物質の体と分離し、元の姿に戻した。
家の裏側で消火活動をしていた消防士が二人の存在に気がついた。
「おーい、娘さんは無事だったぞー」と消防士は大声で叫んだ。
両親が駆けつけて、娘を抱きしめた。
「どなたが娘を助けてくれたのですか?」と消防士に尋ねた。
「そこにいる・・・」と言って周りを見渡したが、誰もいなかった。
青年は娘さんの無事を確認すると、早々に姿を消したのである。
「昔のことに感づかれたら大変だ」と言いながら現場を離れたのだ。

ある日のこと、青年はバスジャックの現場に遭遇した。
移動にバスを使う必要は無かったのだが、不便な生活が楽しくてならなかった。
青年は一番後ろの席で、町並みを楽しんでいた。
突然、前の席にいた男が運転手に拳銃を突きつけ、乗客に命令した。
「おい、おまえ。みんなの金やアクセサリーや時計を集めてこい」
乗客の通報で、警察はバスを取り囲んだ。そして、バスに張り付いてチャンスを伺った。
犯人の男は叫んだ。
「道を空けろ。警察は直ぐに引き上げろ。こっちには人質がいるんだぞ」
その時、青年はバスを反物質と合体させた。
すると、バスが消えて、みんなは路上に座り込んでいた。
犯人の目の前には警察の拳銃が突きつけられていた。
何事が起きたのかわからないまま、犯人は逮捕された。
青年はバスを元に戻そうかと思ったが、これ以上騒ぎを大きくしては大変だと思い、消えたままにして、ほかの乗客と同じように驚いたふりをした。

世界が最も悩んでいることがあった。
それは核廃棄物の処理である。
世界はエネルギー不足と環境保持のために原子力の活用は不可欠だった。
しかし、その核廃棄物の処理に頭を悩ませていた。
政府がどんなに説得しても、地元を納得させることはできなかった。
核の廃棄物の保管は限界に近づいていた。
政府の依頼に、過去のことについてはお咎めなしとの約束を得て、核の反物質と合体させ、核廃棄物をゼロにした。
あまりにも簡単なことだった。
しかし、これで肩の荷を降ろせた気がした。
やっと普通の生活ができるとほっとしたのである。
何でもできる事が判った彼は、もう反物質に興味がなくなった。
様々なモノに不足している時の方が、色々と工夫できて楽しかった。
喜びとは、できることではなく、工夫して努力している過程が楽しいのである。
宇宙の研究も、解らないことがたくさんあるから楽しいのである。

エピローグ

いま老人は、小さな田舎で夜空を眺めることに最高の喜びを感じている。
森も、鳥も、虫も、そして風も、月の明かりも、みんな同じ波長なのだ。
小さな天文学者の質問に悩まされながら、夜は更けていく。
老人はワインを傾けながら、庭の奥を眺めている。
ロダンの「考える人」が月明かりに怪しく浮かんだ。