今を考える┃Essay

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2022/05/28作 今を考える(生きている意味)

夢は作家

作家になりたくて、仕事を辞めて、隠居生活をしている
今 思考する楽しさを味わっている
思い付いたときに、思い付いたことを自由に考えている

長い間、探していた時間だった
やっと、近くまで辿り着いたような気がする

小学生の頃から考えることが好きだった
近所で流行った遊びは 殆ど私が考えた独自の遊びだった

高校に通うようになってからも、そのクセは治まらなかった。
ある日、担当の教師の事業中だった。
教師が、私を名指しで怒った。

その理由は、何かを勝手にやっていることは見逃すことはできる。
だけど、私の事業中に他の科目の勉強はするなと怒られた。

その時は、怒られたという事しかなかった
いま考えると、私は担当教師のプライドを大きく傷つけたのだと気が付いた。
もし、まだ生きておられるなら、逢ってお詫びがしたい・・・。
私は自分勝手だから、悪気無く多くの人たちを傷つけてきた。

懺悔

人生いろいろで、苦しいことが多かった
いい時なんて、ほんの一時しかなかった
でも、私の苦労は、私が傷つけた人たちに対する償いだと思っている。
自分が苦しむことで、少しでも許してもらえるような気がしている

元気の良かった頃は仕事に燃えていて、何も見えていなかった。
毎日が夢中だった。
はじめての企画屋という仕事のため、毎日が勉強と調査と準備だった。
頭の中には仕事のことしかなかった。
家庭も、仲間も、友人も・・・なかった。
しばらくは、気付くことなく過ごしていた。

ある日、昔の仕事関係者から聞いた一言だった。
「この人は凄い人だった。みんなこの人には逆らうなと言っていた」

私はハンマーで殴られた思いがした。
過去を思い返してみた。
鬼のような情け容赦のない自分だった。
みんなに詫びに行こうと考えたが、もう遠い昔のことだった。

だからなのか、私は自分が幸せになることを望んでいない。
自分は相当病んでいる。

作家

私が作家になろうとした理由は、死ぬ瞬間まで作家でいられることだ。
以前に機会があって、2冊ほど出版させて戴いた。
地元の作家らしく振る舞おうと、市立図書館に寄贈させていただいた。
帰りがけに図書館の片隅に「生誕百年記念●●作家展」というのが目に入った。

この時に思った。
私の墓標は図書館にありと思った。
頑張れば、百年毎くらいに思い出展を行ってくれる。
誰にも迷惑のかからない死に場所を見つけた。
この時に「オレ、作家になる」と決意した。

誰かの役に立つことができれば、生まれてきたことの恩返しができるというものだ。

最近は様々な形で残すことができる。
自分で自由に作ることのできるサイト、電子書籍を販売してくれるKindleなど様々だ。
印刷され書籍になれれば、最高だと思う。
位牌や墓石より、書店居並ぶ一冊の本の方が嬉しい。

自由な時間

隠居生活に入ってからは、思考する時間がたくさんできた。
思い付いたときに考えはじめ、いつまでも考えていられる。
思考の時間は私にとっては宇宙一の遊園地なのだ。
どんなことでも思考の世界は実現してくれる。
宇宙の果てにでも、簡単に行くことができる
素晴らしい時間だ

私は社会人になった頃からもがいてきた。
お金さえあれば実現できると考え、もがいてきた。
でも、お金ができれば時間が失われた。
もっと、お金があれば、もっと自由になれると考えてもがいた。

そんな時のゆとりのある時には、思考力が働かない。
思考力とは不幸や不便があるときに救済力として働く。
だから、お金や時間などにゆとりのあるときはアイデアが出てこないのだ。
折角の時間も無駄に過ぎていく。

終活

いろいろなものをなくした。
若さも無くし、隠居生活になった。
そうしたら一番欲しかったものが手に入った。
思考力と無制限の時間である。
無くすること、捨てることで私の夢が叶った。
やっと、見つけた・・・涙が出た。
こんなところにあったのか・・・・
「失ってわかる」という言葉に納得する。

快適にも思える思考をジャマするものがある。
それは、睡魔と飢餓である。
体力が無くなって、疲れてくると眠くなる。
次第に腹も減ってくる。
つまり、肉体がジャマなのだ。
意識だけあって、肉体がなければ最高の環境だろうと思った。

そうそう、そういう存在を私は知っている。
それは、この宇宙を創った創造主だ。
意識を持った永遠のエネルギーが創造主。
創造主が最高の存在なのだと改めて思った。

宇宙の95%はエネルギー、5%が物質だという。
エネルギーの世界が本当の世界なのだと思う。

最後の試練

三年ほど前から愛犬が癌になった。

看病疲れからか体調を崩した。
起き上がることができなくなった。
愛犬の容態も最後の時が近いことを思わせる。
いつでも病院へ行けるように、必死に起きれるように頑張った。
ところが起きても歩けない・・・直ぐに倒れる・・・

必死にリハビリーをして、歩けるようになった。
愛犬は最後の時を迎えている。
お医者さんとは安楽死の打ち合わせをしてある。
しかし、その決断はできない・・・・
いつが正しい決断の時なのだ・・・・

愛犬の表情は一時も逃さないようにした。
今日は土曜日、明日は日曜日で病院は休みだ。
判断を間違えば、土曜日の晩から日曜日にかけて苦しませることになる。
ペットは病院がやっていない時間に悪化するようだ。
いつでも動けるように自分の体調を整える。

そして、土曜の昼に見送った。
その途端に、後悔の嵐が自分を責める。
今も苦しんでいる・・・・

その三日後に私は総合病院の手術室にいた。
目から菌が入って、全身に菌がまわる可能性があった。
目の玉に入った菌に薬が届かない・・・・

医者は最善の方法を考えて悩んでいる

私は医者に伝えた。
「片眼はもう諦めています」

そうして、私は片眼になった。

オレはサムライ

糖尿病の悪化と前立腺の悪化というおまけがついた。
人生最悪の時なのだろうが、そうは思わなかった。

最悪の時でも頑張ってやる
俺はサムライの子孫だ

最悪からどこまでやれるかの挑戦である。
しかし最大の敵は年齢だろうなぁ

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