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ようこそ

この写真は発達障害を持ったの娘さんの作品です。
本棚の書籍は1冊づつ手作りです。文字もコピーではなく手書きです。本はすべて取り出せます。
悩んでいる人は間違いなく逢ったこともないはずの私です。写真を見て作った愛犬もそっくり。
人間の才能には驚かされます。これは私の大切な宝物です。

はじめに

人生で初めてブログを書こうとしている。
読む人が理解しやすいように、シンプルに書こうと心掛けている。
今回は人生最後の仕事として作家を目指すことにした。
売れっ子作家になろうなんてことは考えていない。
自分の生きてきた証をどこかに残したいと考えた。

はじめて本か書いて解ったこと

ホームページの記事が切っ掛けで本を書かせて頂いたことがある。
全国紙に本の広告が掲載され、本屋さんに本が並び、雑誌に取材され、新聞の記事になり、テレビの取材も受けた。
自分でも驚いたが、その嵐はあっという間に通り過ぎた。
地元の公立図書館に寄贈した。
後日、図書館に行ったら私の本が展示されていた。

その時、思ったのです。
「地元作家 没後100年記念展」とかしてもらえるかも知れないと・・・
ここを墓標にしようと考えた。
誠に不謹慎ですが、子供のいない筆者は消えるのみと考えていた。
自分の名前の残せるところを見つけたのです。
これはもう作家を目指すしかないと覚悟を決めたのです。

作家を躊躇した理由

以前にも書き手になろうと考えたことがある。
以前とは、親も健在で、妻もいて、親戚もたくさんいた頃。
自分のことを赤裸だに書くことなんてできないなぁと思っていた。
周囲の人物のことを書いたら、本人に迷惑をかけてしまうと思った。

しかし、今はほぼ孤独な人生になり、誰にも憚ることなく書ける環境になった。
ほぼ孤独とは身の回りの関係者と言えば、自由に生きている弟が一人いるだけである。
歳の近い親戚も少なくなった。
知人も現役を退いているから、もう迷惑をかけることもないだろう。
墓場にもっていかなければならないような話もなくなった。
いまなら何を書いても、誰にも迷惑をかけずにすむ。

まともな文章なんか書いたこともない。
作文の練習もしなければならない。
自分の無能さを自覚しなければ、まともな文章は書けないだろう。
これがブログを書こうと思った動機である。

次代を担う人たちのために書き残す

なんとなく頑張っている理由

すこし話をブログを書く理由に戻そう。
筆者は多分、小学生の頃から一生懸命に生きていた。
ただし、自分の興味のあることに限定はされる。

筆者の人生に大きな衝撃を与えたのがテレビのドキュメント番組だった。
テレビには外国の貧しい国の様子が紹介されていた。
番組のタイトルは「ストリートチルドレン」

今も、思い出すだけで涙が溢れてくる。
番組の内容は、親を失った子供たちが野良犬のように生きている。子供たちは軒下やベンチの下に隠れて暮らしている。食を得る手段は盗みしかない。それを大人達は野良犬を追い払うように、笑いながら銃で撃つ。撃たれた子供が死んでも、害獣を殺ったかのように自慢げに笑う。

その番組を観ながら子供の筆者は泣いた。
そして決意した。
「この子たちを救いたい」
そうして自分のできることを考えた。

子供が不幸にならないためには親が死んでしまう原因をなくすることだった。
子供にできることなんか何もない。
それでも必死に考え、少しだけ自信のあった発明で救おうということだった。

発明が遊びだった子供時代

生涯を通じて「考えること」に明け暮れた。
執筆した「100円ノート超メモ術」は、考えることのために発明したメモ方法を書いた本である。

100円ノート「超」メモ術

Amazon読者の感想

文中著者も述べておられるが、ノートの第一のキモである「右下角」を切り落とすというアイディアは、決して新奇なものではないかもしれないが、最終ページにインデックスを設けて、関連ページへただちにアクセスできるようにするという「リンク」の貼り方が秀逸だと思う。これがためになんでもかんでもとりあえずメモるという習慣が確立するのがすごい。で、実際にコンビニやホームセンターに行ってみると、案外A6の大学ノートって置いてない、てゆーか品薄になっている。この本の実践者がかなりの数に上るのではないか、と推察するが、果たして? いずれにせよ、これは情報管理の最もチープで、最も基礎的で、最も革新的なメモ術だと思う。

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インターネットが普及している現在とは違って、情報といえば学校の図書室である。
マニアックな情報といえば街の小さな書店に並んでいる本だけだ。

こんな環境だから、観察力と思考力は常に磨かれていた。
発想の方法は「野生の勘」で、自分はいつも自然人であることを心掛けていた。
いま思えば「ひらめき力」を磨いていたのだろう。
映画的にいえばジェダイの能力であるフォースの訓練をしていたのだろう。
その影響なのか、いまも趣味は迷子である。
迷子になった時の心細さと緊張感、生きるための野生の勘が目覚めてくるのがたまらない。

アイデア力に人が集まってくる

力のない者がアイデアだけで何かを成功させることは難しいと実感している。
それでも、アイデア力のニーズは結構ある。
筆者のアイデア力を利用したいという人は多い。

他人に利用されることで波瀾万丈、七転八倒の人生を繰り返してきた。
苦労の大きさというのは人によって感じ方は異なるが筆者は三度ほど地獄を覗いてきた。
苦労というのには肉体的な苦労と精神的な苦労がある。
肉体的な苦労というのは暴力を受けるとか病気になるとかいったものだ。
一般的に苦労というのは精神的苦労をいう。
筆者の苦労も精神的苦労だった。
様々な大変なことはあるのだが、命を取られるまではないけど死ぬほど辛いものだった。
精神的苦痛というのは、心に恐怖感を感じさせ、思考を破壊するものだ。
それによって、死にたくないけど死にしかないと思わされることだ。
この思わせることには限界があることを知った。
この精神的苦痛という悪魔はどん底まではついて来れないことを体験した。
人間の精神力や生きたいという意識の方が悪魔より強かった。
このことを知ってからは、苦労を苦とは思わなくなった。

死の苦行を乗り越えた阿闍梨のことば

密教には千日修行というのがある。
一日中、山の中を獣と同じように走り回るという。
白い衣で死を覚悟していて、短刀だけを持って修行に行く。
短刀は身を守るためではなく、耐えられなくなった時の自害用だ。
これは、修行の始まりに過ぎない。
この苦行を乗り越えた僧が阿闍梨と呼ばれる。

阿闍梨の言葉を伝え聞いたことがある。
それは「苦を楽しむ」という事である。
登山やスポーツなどをしている人は当たり前のように苦を楽しんでいる。
それと、同じようにどんな苦労も楽しむと言うことだ。

苦を乗り越えたら苦を楽しめる

筆者は波瀾万丈の人生で、筆者なりに辛い苦労をしてきた。
だから、苦労は終わるときが来るということを知っている。
苦労は人間を大きく育ててくれる。
シナリオのない人生ゲームとしての醍醐味を味わうことができるようになった。
人生観が変わり、モノの価値観が変わる。
苦労からでしか学べないモノがたくさんある。
長いようで短い人生を豊かにするなら苦労をするに限ると思う。
苦労は大変だけど、得るものは大きい。

自分の使命を知る

様々な経験から「人間は死ぬ時が来るまでは死なないもの」だということも悟った。
苦労が多かったので、捨て鉢になっていた時期があった。
そんな時は死ぬような事があっても、あまり動じることはないものだ。
いま考えても、どうして死なずに済んだのだろうと思うことが何度かあった。
不思議な体験で、なにかに守られていることを感じた。
それで、死ぬ時がくるまで頑張らなきゃならないのだと悟った。

発想が爺臭くなったら引退

こんな人生から多くの事を学び、経験し、修得もした。
後は自分の経験を世の中のために尽くしたいと思うようになった。
絵に描いたようなきれいごとだが、本心から思うようになった。
様々な経験が筆者をここまで導いてきたのだろうと思う。

筆者のできることといえば「アイデア」しかない。
幸いなことに好奇心と探究心とアイデア力は健在だと思う。
自分が健在な内に、自分の得た知識を残そうと考えた。

筆者がいつも注意していることがある。
老害は「下手なマイウェイのカラオケ」と「爺臭い発明」だと思っている。
アイデアが爺臭くなったら本当に社会から引退しようと思っている。
だから、常に自分の発想が「爺臭くないか」をチェックしている。

このサイトが若い人の糧となってくれることを心から願っている。

2021年11月 はこび天舟

おことわり

筆者はやっと作家を目指して勉強をはじめたところです。
このサイトにはたくさん?の作品が掲載されています。
しかし、どれも未熟で読むに値しない作品ばかりだと思います。
それゆえに日々考え、書き直しています。
良い意味のバージョンアップ?。
そのため読者のみなさんには不愉快な思いをさせることが多々あるかと思います。
最初にお詫びを申し上げます。

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