片眼の作家 はこび天舟の本音

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変な奴と言われ続けた人生

変な子供と言われた子供時代
それは、大人になっても変わらなかった

理由は簡単。
自分では変なヤツだとは思っていない
だから変わりようがない

世の中の人の方が変わっていると思う
オレはあんな風には生きられないなぁ
どうしてみんなは素直に生きないのだろう

変なヤツが認められた

私の著書に「100円ノート「超」メモ術」東洋経済新報社と「「超」メモ術」青春文庫という二冊がある。

私が考えたアイデアであるが、地元で説明しても誰も認めてくれなかった。
諦めて、ホームページで紹介したところ、多数のアクセスがあった。
そのサイトは専門雑誌でも三選に入った。

ある日、出版社からオファーがあり、出版することとなった。
ほかの出版社からもオファーがあり驚かされた。
田舎では認められなかったが、日本という市場では結果が違うと知った。
これが作家になろうと考えた理由である。

ある日突然、片眼になった

ある日、目に異物が入った。
3日経ったら、目が腫れ上がった。
眼科の紹介で総合病院を紹介された。

翌日、病院に行ったら、そのまま入院になった。
目に菌が入って炎症を起こしている。
菌は直ぐに体内に回り、脳に入ったら終わりだと告げられた。

菌は目も玉の中で増殖を続ける。
菌の増殖は倍々で増える
だから、あっという間に体中に増殖する
治療するにも、腫れ上がった目に中は治療ができない。

医者は言った。
「目に麻酔は効かない。麻酔なしで治療するしかない」

このままでは、終わりを迎える。
覚悟するしかなかった。

まるで、江戸時代の小石川療養所のような治療が始まった。
一応、痛み止めをたっぷり注いでくれたが麻酔のようにはいかない

「頭を動かさないで・・・・」
眼に5本の注射が打たれた
痛みは5回だけではない。
1回の注射毎に薬が3回に注入される
その度に注射以上の痛みが走る

頭を固定し、目を動かさないようにする
身体を硬直させ、薬を注入されるときの痛みに耐える心構えをする

注射嫌いの私は、子供の頃に編み出した秘術がある
肉体と精神を分離するのだ
「痛いのは肉体で、私(精神)ではない」と思い込む。
そうすることで、痛みは解消されるようになった。

この方法にも危険はある。
予想以上の痛みがあった場合、分離した肉体と精神が一体化することである。
痛みが一気に襲ってくるのである。
私はベテランだから、この最悪の状態は回避する。

そのお陰で、私は生きている

右目があるから問題ないと思っていた

片眼でものを見ると言うことは大変なことだと知った

視力が落ち、ピントが合いにくく、とても疲れる
頑張ろうとパソコンに向かうが、思うようにできない
片眼とは機能が30%程しか果たせない

それでも、感謝だ

どんな辛いことがあっても感謝できるには訳がある

若い頃、プロジェクトのリーダーだった
仕事熱心で、良い仕事をすることしか考えていなかった

引退してから、風の便りに聞こえてきたことがある
「あの人は昔は凄い人だった」
「あいつには逆らうなと言われていた」
鬼のように思われていたのである

その時、ハッと気が付いた
自分が業者にやってきたことを考えた
仕事のためなら平気でスタッフを切った

突然仕事を切られてスタッフの大変さを知った
それ以来、自分にくる試練はすべて懺悔のためだと考えるようになった

今回も懺悔のひとつだろう
償いができているような気がしている
だから、感謝なのである

病気や試練は人生観を変えてくれる
今回は左目を失ったが、得るものも多かったように思う
作家としての覚悟が、またひとつできたような気がする

2022年12月6日記す

支えてくれた愛犬とその死

愛犬は両親が飼っていたビションフリーゼ種の白い小型犬。
両親が亡くなって、兄が引き継いだ。
その兄も亡くなり、愛犬は実家に一匹残された。
当時はアパートに住んでいたのでペットを飼うことはできなかった。
愛犬は空き家同然の実家で三ヶ月間を過ごすこととなった。

この三ヶ月が私の負い目となった。
三日に一度、餌と水を入れ替えに来るだけで、孤独な時を過ごさせた。

一緒に暮らしはじめてから自分の孤独を知った。
一人暮らしの時は、気楽に気ままに暮らしていたから孤独を感じることはなかった。
しかし、ワンコと暮らし始めてから気持ちが大きく変わった。
ワンコと暮らし始めてから、自分の時間がなくなった。
小さなワンコに振り回される日々が始まった。

はじめはウンコとオシッコの問題だった。
オシッコもウンコも隠れてするから、ワンコの後をつけて場所を見つける。
その後で、ウンコとオシッコの処理をする。

その内場所を決めてするようになった。
最初は物陰がいいのだろうと思っていたが、飼い主が見えるところがいいらしい。
だから、部屋の一等席にワンコのトイレを設置した。
と言っても、市販のトイレを置くだけである。
ワンコを見ていると、トコトコとトイレのところに行き、匂いを確認してから腰を落としてオシッコをする。
これがたまらないくらいに可愛い。
ワンコが身体を悪くしてからも、ビッコを引きながらトイレにいく。
この健気さがたまらない。

こうして何気ない毎日が私の殻を破り、人間らしさを取り戻してくれた。

絶対信頼は存在する

私が人間嫌いになったのは「裏切り」である。
欺そうとしてくる人は注意をしていれば遠ざけることができる。
やっかいなのは信頼している人の裏切りである。
社会人なら誰でも裏切る可能性を持っている。
いつか二択に迫られることがある。
その時、裏切るなとは言えない。
三国志に「泣いて馬謖を斬る」というのがある。
裏切りも同じだと思う。
泣いて裏切らなければならないときがある。
私自身も、同じ事が言える。
だから、裏切られたことを裏向きにはなれない。
裏切った人の方が苦しむ場合は少なくないように思う。
このように「完全信頼」というのは難しい。

ところが、家のワンコは「完全信頼」をやってのける。
ワンコの裏切りの可能性はゼロである。
人間が頑張ってもできないことを、小さなワンコがやってくれる。
このことで、どれほど救われていることだろうか。
完全信頼があったら、ほかに何もいらない。

だから、私もワンコに完全信頼で応えようと思っている。
できなきゃワンコに負ける。
だから全力でワンコの要望に応えていた。

遊んでくれるワンコ

私がワンコと暮らすようになった時、ワンコは7歳になっていた。
いまさら芸を仕込むような歳でもないなぁと思っていた。

ところがワンコは自分で遊びを考えてくる。
ある日、ワンコが古い皮の作業手袋を咥えてきて、私の前にポンと置いた。
そして、私の行動を待っている。
「ん?何だろう」
私は両親がこれで遊んでいたことを思い出した。
私が革手袋を持つと、ワンコは警察犬のように革手袋に噛みついて激しく振り回す。
私はワンコの歯が折れるのではないかと心配しながら、時々緩めながら付き合った。
翌日もワンコは革手袋を咥えてきて私の前にポンと置く。
遊んでいるのか、遊んでくれているつもりなのだろうか。
こりゃ、飽きてくれるまで付き合うしかない。

自分で遊びを考えたワンコ

ワンコの餌探しは大変である。
今日食べても、明日食べてくれるかどうかは解らない。
食べなくなった餌の袋がたくさん貯まっている。

主食を食べてくれないので、おやつで栄養を補うしかない。
そのおやつも、主食と同じように難しい

おやつにも飽きるのだろう。
おやつで遊ぶことを考えたのだ。
遊び相手は私である。

おやつに飽きると、私の顔を見てにやっと笑う。
咥えていたおやつを下でポンと前に放り投げる。
そして、おやつに関心のないふりをして、横を向く。

ワンコは私がおやつを盗みにくるのを待っている。
私がそぉっと手を伸ばすと、素早くおやつを咥えて、またにやっと私を見る。
それから勝ち誇ったようにおやつを食べる。

最初は意味がわからなかったが、次の日も同じ事を仕掛けてくる。
ワンコが自分で考えた遊びである。
こっちもワンコに負けていられないと、素早くおやつを獲ろうとすると手に噛みついてくる。
「汚い手、いや口を使うやつだ」
それ以来ワンコに勝ちを譲っている。
あの自慢げな顔がなんとも可愛いのだ。

気管支の病気と癌の発見

ワンコの乳にシコリができた。
手術のためレントゲン検査をしたら、小型犬特有の気管支のトラブルが見つかった。
これを切っ掛けに、ワンコの病菌通いが始まった。
一度目のシコリは良性だったが、二度目のシコリで癌が見つかった。
死へのカウントダウンが始まった。

ワンコの闘病生活がはじまった。
医者にお願いしたことは、苦しい思いだけはさせたくないと。
24時間介護でワンコを見ることにした。
ワンコへの信頼の証である。

やがて、ワンコは動けなくなった。
オシッコは這いつくばってトイレに行こうとする。
トイレの場所までマットに乗せていく。
もう身体に触ると痛がるので、マットに乗せたまま移動させる。
やがて、それも思うようならなくなり、寝たままでオシッコをするようになった。
数枚重ねたシートを引き出して新しいシートに交換する。
ウンチの時は、堅いウンチを手で解して、ウンチを出しやすくしてやる。
ウンチができないことくらい辛いことはないだろうと思い、必死でサポートする。
ウンチの時は共同作業だ。
ワンコも頑張る。
まるで出産でもしているような感じである。
ウンチを出し終わると、ワンコはホッとしたような態度をする。
いま思い出すと、このウンチのことが懐かしい

ワンコを安楽死させた

2022年11月12日 ワンコ死亡
ワンコが痛みに身体を震わせるようになった。
痛み止めは1日に2回までと決められている。
時計を見ながら痛み止めを飲ませる

ある晩、痛みで泣き始めた。
初めてである。
身体を摩ってやると、少し楽なようだ。
安楽死の決心はつかず、また新しい夜を迎えた。
また痛さで鳴き始めた。
いつもとは違う鳴き方である。
痛み止めを飲ませたが効かない。
10倍の薬を飲ませたが一向に効かない。
痛みで苦しめるより、薬で朦朧としてくれる方が良いと考えた。
最悪の場合でも、苦しませるよりはいいと考えた。

何倍もの痛み止めを飲ませても効かないことで、もう自力で痛みから守ってやれないことを悟った。
明日は土曜日。
日曜に痛み始めたら救いようがなくなる。
一晩中、癌の痛みに苦しめることはできない。

私は安楽死を決断した。
翌日、病院へお願いした。
こうして、ワンコは逝った。

後悔に襲われる

痛みから守ってやりたいという思いが「安楽死」を考えた。
しかし、時間は適切だったのかという思いに苦しんだ。
どちらを選んでも後悔はするだろうとは思っていたが、思った以上に後悔の念に襲われた。

安楽死させることに必死になっていたために、ワンコとの別れの時間が少なかった。
充分な別れもしないうちに死なせてしまった。
いまも考え悩んでいる。

もう一度、ワンコに逢いたい・・・・
しっかりと別れをしたい・・・・・・
私がいつかワンコに逢えるときまで考えていると思う

ワンコへのレクイエム

ワンコを看取ってから三日後、私は病院にいた。
目に菌が入り、失明しかないという場面にいた。
眼球に入った菌は目玉の中で増殖している。
眼球というバリアの中にいる菌に薬が届かない。
もし、体内に菌が移動したら、あっというまに勝負がつく。

「片眼の失明は覚悟しています」
医者はこれで治療方法を決断した。
眼球の中の菌を滅ぼすという。
ただし、目には麻酔が効かないから、麻酔なしで行うしかない。
私は承諾し、江戸時代の小石川療養所のような手術が始まった。
「頭を動かすんじゃない・・・・」

この時、私はワンコのことを考えていた。
もし、私の入院が先立ったら、ワンコを見殺しにするしかなかった。
そうなったら、死んでも死にきれないという思いだった。
私は安堵の思いだった。
この事が、この麻酔なし手術に耐えることができたのだと思う。

手術後はそのまま入院となった。
左目の痛みは右目の視力も奪う。
目の痛みに耐えながら、ひとつの物語が浮かんだ。

この体験を物語にしようと思った。
ワンコへのレクイエムだ
でも、ワンコのところは詳しくかけなかった。
ハッキリと思い出すことに耐えられなかったのである。

いつか書き直せる時が来たら、書き直そうと考えている。


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