人間は永遠に生きる┃推敲中

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筆者はアイデアがどうやって生み出されるのかを追求してきた。
アイデアがどうやって生まれてくるのかを知りたい!
アイデアを生み出し続けることが筆者のできる唯一の仕事だった。

脳は臓器 思考器官ではない

近年の科学で脳は人間の臓器の一部でしかないことが解った。
それでは、人間の本体は何処に存在しているのか?
なぜ?何故?ナゼ?で頭の中がいっぱいになった。

科学で解明されないこと

世の中には不思議なことがたくさんある。
科学では絶対に解明されないことばかりである。
どんなに科学が進んでも、この世の事象を理論付けすることだけでしかない。
私見で申し訳ないが、この世の発明は発明ではなく、森羅万象からの発見だと思っている。
過去の発明は、必ず世界の違った場所で同じ時期に3人以上が同じアイデアを思い付いている。
人類に必要な発明は必ず世の中に現れ、人類の発展に役立つようになっている。

宇宙の中心は人間

宇宙は人間を中心に構成されていると言ってもいい。
太陽系は地球のために構成されている。
そして、地球は人間のため、あなたのために存在している。

人間はどこから来たのかという疑問が起こる。
この奇跡的な人間がわずか100年のための存在なのか?

最近、転生ということが科学的に証明された。
人間は何度も生まれ変わっているということが、調査の結果で証明された。

輪廻転生

筆者はアイデアとは自分の意識で暗闇の中から宝物を探してくる作業だと思っている。
そして、限界を超える苦労の末に何処からかアイデアが与えられるということを体験している。
時々起こるのではなく、必ず起こるのである。
だから筆者は、何もアイデアのないゼロから考え始めて、アイデアを必ず発見する。
このことは「超発想術」というブログに詳しく書いている。

様々な体験から、人間はおそらく永遠に生きるという考えに辿り着いた。
多分、間違いはないだろうと思う。
このことを思っている医者や科学者はたくさんいると思うが、科学的に証明することができないだけだと思っている。
このブログでは「人間は永遠に生きる」という証明を試みる。
読んだら、きっと納得して戴けると思う。

死の恐怖からの解放

書いた理由は「死の恐怖」をなくするためである。

人間は100%死ぬ。
若干の違いはあるが、例外なくすべての人が100年を待たずして死ぬのである。
宗教は死の恐怖を煽り、正しいとする生き方を指導する。
そして、死の恐怖から逃れるために信者になり、穏やかに死を迎える準備をする。
これが、宗教だと考えている。

信仰者と無神論者

世の中には信仰者と無神論者がいる。
信仰者にも宗教者と無宗教者がいる

筆者は信仰者の無宗教者である。
その理由はどんな宗教の教えも納得できないからだ。
でも神様の存在は信じている信仰者である。
神様とは親しく、神様は絶対に信頼できる存在である。
私は毎日祈るように神様と会話をする。
最後の言葉は「すべてがあなたの御心のままに行われますように」
この一言で生きる覚悟が定まり、不思議に心が落ち着くのである。

筆者の終活

筆者は1947年生まれだから、現在(2021年)は74歳になる。
終活(人生を終えるための準備)として、悔いのないようにしようと頑張っている。
時間を惜しんで、勉強し、行動している。
終活は60歳になった時に始めた。
あと5年は生きるつもりで、5年の間に終活を終えるつもりで頑張ってきた。
65歳になった時、「あれ、まだ元気だよ」と思って終活を5年延長した。
今は2回目の延長であるが、まだ元気だ。
3回目の終活延長ができるかも知れないと思っている。

筆者の終活の第一の目的は「経験を残す」ことである。
人生は、学びに始まり学びに終わる。
先人の経験を学ぶことが人生だと思う。
でも、人生のすべてが残されているわけではない。
人生の大半は、学びながら悟り、自分で追求し、小さな結論を得る。
人生100年は余りにも短すぎる。
自分で追求するところを学びで補えたら、かなり効率の良い人生が歩めると思う。

そういうことで、筆者は70歳で作家になることにした。
新人といっても筆者には2冊の著作がある。
有り難いことに出版社のオファーを受けて出版して頂いた。
評判は良かった。あっという間に重版を重ねさせてもらった。
しかし、それは内容が良かったに過ぎない。
10年以上経ったが、この本の内容を超えるメモ手法の本と出合ったことがない。
つまり、文章力を必要とされなかった本である。
最後には、会議室に3日間も缶詰にされ、ライターさんを付けられて制作した。
その所為もあって、いつか全編を自分で書いてみたいという欲求があったのである。

筆者も高齢者として、寿命という死と向かい合って生きている。
だから、面と向かって「人間の死」のことを書いても許されるだろうと思った。
友人に話をしたら、ぜひ書いて欲しいと言われた。
多くの人が「死の恐怖」と戦いながら生きている。
また、多くの人が宗教に教えを請い、死出の旅の心の準備をしている。

このブログは、宗教を信じ切れない筆者のような無宗教者に安心と安らぎを教えるために書く。
筆者も死の恐怖はあるが、死出の旅を楽しみにしているところもある。
行ったことがないので仮説ではあるが「当たらずとも遠からず」だと思っている。
このブログを読み終える頃には、あなたの中から「死の恐怖」は無くなっているだろう。
そして、余生と言われる「余裕ある人生」を有意義に暮らすことができるようになっていると思う。

2021年に記す

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